学ぶことと気付くこと
学ぶことは好きですか?
わたしは昔は嫌いでした。
「やらされていた」から。
勉強しなければいけなかったからです。
勉強しなさいと言われたらやりたくなくなる。
その通りです。
だからと言って
言われなければやるのか??というと
そうでもありません(笑)
言われなくても「やらない」のです(笑)
皆さんのお子さんはどうですか?
勉強好きですか??
たまに好きな子がいます。
でもきっと
多くの場合は好きではないんだと思います。
何かのきっかけで好きになったり
勉強するようになったりする子もいるでしょう。
わたしの場合はそれはだいぶ大きくなてから(笑)
ということになります。
今は学ぶことは好きです。
自分がやりたいと思うからです。
やらされていない。
やりたいからやる。
それだけです。
なぜ学びたいと思ったから。
「知りたい」という欲求からです。
そう。知的欲求。知りたいのです。
それがまさしく人間ですよね。
知りたくない。やりたくない。めんどくさい・・・
そういう人も沢山いると思います。
もちろん
興味のないことはこれになると思いますが
全てにおいて面倒くさいという人もいます。
人間・・・じゃなくなっていませんか?
それに気付いたら・・・
何か変わりますか?
何をどう学ぶか
そんなのは自由です。
大人は。
子供はある程度指定されます。
義務教育もあるし、自由に学校を選べないこともあります。
子供のうち、義務教育の時は皆同じようなことを学びます。
これは知っておいてね!という基礎基盤を学ぶのが義務教育であり
それが終わってこその高等教育や専門教育が始まります。
何でも基礎基盤が大事です。
基礎基盤がなければ、ゆるければ倒壊します。
そう考えると
とっても重要な9年間の学びのはずです。
どうぞ楽しく有意義な学びをしてほしい。
そう思うのですが・・・
どうでしょう。
なかなか難しいものがありますね(笑)
わたしもこの頃の学びは大嫌いでした。
大嫌いでもやりました。
やらなきゃいけなかったから。
テストがあったから。
友達よりいい点数を取りたかったから。
親に怒られるから。
色々な理由付けをして学ぶわけです。
ただ、それがあったからこその今があります。
嫌でもやった。嫌でもやれた。という事実。
嫌だったけど手に職を持つことができた。という事実。
今の学びにもつながる知識が備わっている自分がいる。という事実。
良いことも嫌なことも学生時代の思い出がある。という事実。
そういうことをひっくるめて今の自分が出来上がっています。
そういうことをひっくるめたうえで
「何をどう学んできたか」そしてこれから
「何をどう学ぶか」の選択も変わってくる。ということです。
ただそれだけ
合っている。間違っているの世界ではありません。
それに興味を持ったから学んでみようと思った。
どうやって学ぼうかを考えた結果これを選んだ。
この人から学ぼうと思った。
ただ。それだけです。
良い悪いでもなく、自慢できることでもありません。
ただそうだった。ということ。
ほんとそれだけなのです。
本当にそれだけなのですが・・・
わたし達はそこのあえて、価値を付けようとします。
差別化しようと、価値を高めようとします。
こんなすごいことを学んでいるの。
こんなすごい人に学んでいるの。
こんなすごい金額払ってやっているの。
この先生超有名人なの。
受講生沢山いるの。
参加者さんたちもみんないい人。
・・・・・・・・・
で????
って・・・ことです。
で?
なに??
どう?その学び。ってこと。
めっちゃ幸せ~~~~✨って地に足つかなくなるか
何も変わらないか
変わった風にしているか
一抹の不安を感じているか
・・・・・・
そういうことって多くないかしら?
その付加価値。必要ですか??
やってみたいから。やってみる。
この人に学んでみたいから、学んでみる。
続けたいから、続ける。
やめたくなったから、やめる。
それでいいはずです。
なのに余計な感情を付けがちです。
その感情。いりますか?
それが自分の首を絞めていること。知っていますか?
そしてもう1つ。
逆パターンもありますね。
本当はやらなきゃイケナイと分かっているのに「逃げて」いるパターン
そう。
これも多い。
「逃げる」人。
やり逃げ。
聞き逃げ。
知識だけ欲しい人。
商品だけ欲しい人。
やって満足。
聞いて満足。
・・・・・よくやってしまいがちですが・・・
最悪ですね。
そう。最悪です。
やっちゃいけないやつです。
でもやっちゃうんです。
そういう自分に気付いていますか?
気付いて向き合って行動してください。
そして
多くの場合
行動するといっても「自分の都合のいい」行動をとります。
最悪ですね。
わかっていますよね。
最悪だって。
こういうこと。指摘してくれる人はいますか?
間違いなく
これは「友達」では無理です。
「家族」じゃ無理です。
先生・師匠じゃなきゃ無理です。
あなたより一歩も2歩も先に行っていないと的確なアドバイスはできません。
圧倒的上から目線で見てもらわないと
道を間違えますよ。
だから「師」を持ってほしいのです。
学ぶためには「師」が必要です。
生身の人間がいい。
出来たらリアルがいい。
リアルはごまかせないから。
そういう人にぜひ出会ってください。
出会えた人はラッキーです。
大人になったからこそ学ぶんです。
その姿をみて子供は育ちます。
家族は良いようで、時に足を引っ張ります。
「尊敬する人は?」と聞かれて
「両親です」とか「父です」とか「母です」なんて
言われないような子育てをしたいです。
もっと広い世界を見てほしい。
もっともっと素敵な素晴らしい「師」が沢山いることを
子供たちには知ってほしいと思うんです。
親は「師」にはなれません。
役割が違うのです。
これ。わかっていますか??
だから尊敬する人にはなれないのです。
感謝はしていますけどね。
産んでくれて・育ててくれてありがとう。って。
でもね。
これもはっきり言って当たり前のことです。
だって
つくったんだもの。産んだんだもの。
責任もって育てるのが「当たり前」なのです。
そこに恩はいらないのです。
当たり前です。
子供からの感謝はもちろん受け取るけど
当たり前のことをしただけだということです。
すごいことではない。
自慢できることでもない。
当たり前のことです。
間違えないでください。
この間違いが大きなひずみを生んでいるかもしれませんよ。