信じても救われない
信じる者は救われる。
なんて言いますが・・・
信じたって救われません。(笑)
信じて救われることもあります。
信じても救われないこともあります。
当たり前のことです。
五分五分なんです。
信じる・・・ってなんですか?
あなたにとっての信じるって。
「信じる」の「信」は
人に言うって書きます。
人に言うのです。
何もしないのではありません。
自ら人に言うのです。
要は自分で行動することになります。
黙って待っているのとは違う。
黙って考えて祈っているのとは違う。
行動するんです。
行い動くのです。
動かない限り信じられないのです。
誰が動くって・・・「自分」です。
他人さまではないのです。
自分で動けますか?
もうね。自分で動くっていることを放棄している方が多くないですか?
皆さんは大丈夫ですか?
人間は怠惰な生き物です。
やってもらったら自分ではやらなくなります。
だからこそ
やってもらったら最後です。
やってあげたら最後です。
よくわかるでしょ。
かわいい子には旅をさせろなのです。
放任ではありません。
何も考えていないわけでもありません。
めっちゃ真剣に考えながら手放すところは手放すんです。
何を一番手放さなければならないかって
執着です。
家族にはこれがあります。
蔓延っています。
とても厄介です。
余計なことはしないでください。
お節介です。
節度を越えた介入です。
有難迷惑です。
ありがたいかもしれないけれど迷惑なんです。
家族はその境目がわからなくなります。
近すぎるからです。
自分で考えて調べて行動してください。
誰かがやるのを待っていたら遅れます。
遅れたら・・・自然界なら命を落とします。
食べられてしまうのです。
そのくらい
わたし達が生きる社会も
気付かないかもしれませんがサバイバルです。
みんなと一緒の事をやっていたら命を取られます。
わかりましたよね?
大変な世の中です。
嫌というほどわかりましたよね??
これでもわからないようであれば先は見えていますよ。
世界は破滅に向かっていますからね。
幸せな世界を作ろうなんて思っていませんよ。
自分で動くことです。
自分で考えることです。
自分で調べることです。
それしかありません。
そして
良い師を持つことです。
これに尽きます。
自分に都合の良い人ではない
良い師という人は
自分によって都合の良い人ではありません。
良い人というのは
自分にとって都合の良い人ではないということです。
おそらく多くお人は
自分にとって都合の良い人がいい人のように感じると思います。
そういう人はいい人ではありません。
間違いなく裏切られます。
ただ都合がよいだけの関係だからです。
都合が悪くなたら立場は変わってしまいます。
当たり前です。
前提条件がそうなのですから。
良い人。良い師という人は
自分にとって都合が悪い人です(笑)
嫌なことをついてくる人です。
真実を伝えてくれる人です。
正直に話してくれる人です。
裏表のない人です。
人によって態度を変えない人です。
とっても都合が悪いと思います。
時には
大人になってまで怒られたくないじゃないですか(笑)
でもね。
叱られます。
痛いところ。弱いところをついてきます。
穴があったら入りたくなります。
逃げたくなります。
逃げる人も沢山見てきました。
そう人が良い師かもしれません(笑)
でも
温かいです。愛があります。命がけで守ってくれます。
そういう人。いますか?
家族じゃダメです。
家族は師匠とは違うからです。
役割が違うんです。
他人です。
他人だからいいんです。
甘えがききません。
しっかり線引きできます。
なあなあにはならないからです。
他人だけど愛があって命がけで守ってくれる人。
かなり貴重な存在じゃないですか?
天然記念物や重要文化財並みだと思います。
そんな「師」に出会えたなら
あなたはとってもラッキーだと思います。
豊かな生活を送られているんでしょうね。
そんな師を見つけてください。
数は少ないでしょうけど絶対に存在すると思います。
信じても救われません。
救えるのはあなた自身です。
そのために必要な行動をとってください。
この世はサバイバルです。
生き残りをかけて戦う時かもしれません。