独り言

「エビデンス」で人は救えるのか?

 

「エビデンス」で人は救えるのか

「エビデンス」は必要なんだとは思う。

でも

「エビデンスだけでは人は救えない」って・・・わたしは思ってしまう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

物事は理論的でなければならないと思います。
そのうえで

「最も確かなもの」は

『エビデンス』ではなく「実際に起こった現象そのもの」ではないでしょうか?

 

【エビデンスとは】

実験によって科学的に示された根拠。

プロセスを科学的に説明するためのもの。

こうするとこうなるよね。ということを証明するもの。

 

実際

エビデンスはあるが、みながみなエビデンス通りではない。

ということが容易に起こっていると思います。

この人には良かったけど、この人にはダメだった。なんて

日常茶飯事です。

だからこそ「エビデンスで人を救えるのか??」と思うわけです。

ですが・・・

医療現場では【エビデンスがないものはできない】といいます。

エビデンスがないものはできないから、
エビデンスがあるものしかできないから、同じことを繰り返します。

 

痛いです→痛みを止めましょう

貧血です→血を止めましょう。ないし、血を補いましょう

がんになりました→取るか、薬でたたくか、放射線か・・・

 

東洋医学や中医学、韓医学や各種自然療法、今も行われている数百、数千年続く伝統的な治療法は

いまだ明確な機序や理論の解明がされてないものばかりだと思うんです。

それにかかわらずクライアントを治している。改善に導いている。「今も変わらず続いている」のです。

これには

「こうやれば良くなる」という「現実に起こる『現象』」という「事実」があるんです。

この事実があるからこそ、

今も、そしてこれからも続いていくことでしょう。

 

この「事実」こそが「エビデンス」よりも大切だと思うし

その「事実」として起こる現象の精度を上げるためには狂いのない周波数は必要だと思います。

なぜかって

周波数が全てであるから。

なぜそうなるかというよりも「そうなるという事実しかない」

そう考えると

エビデンスとはなんだろう?

こうなるとこうなるよね?の証明ってなんだろう?

「そうなるという事実しかない」世界との差は大きなものですね。

だから

エビデンスだけでは人は救えない。

救える人もいるかもしれない。でも、たまたまかもしれない。

「そうなるという事実しかない」という世界ではない。から。

 

一流といわれる人こそ、治療法に「エビデンス」なんか求めないし、必要だとも考えていないでしょう。

なぜって?

自分の治療によって「クライアントが「治る」という『事実・現象』が大事」だから。

その答えがあり、知っているから「エビデンス」はいらない。

人間が健康に過ごせる「答え」がある。

 

答えがあるのだから

どうやってこの答えに行こうか?の道筋は無限にあると思います。

Aの道でもBの道でもいいのです。答えがあるのだから、そこに向かえばいい。

 

無限にある道筋の1つの過程の参考として「エビデンス」があれば参考になると思いますが・・・

その程度なのかもしれません。

 

そして

そもそもエビデンスというものは、それぞれの分野の既得権益や利権の思惑によって

『いくらでも簡単に科学的事実を都合良く改ざんできるもの』である可能性がある。

そうなると「何の信用にもならない」・・・かもしれない・・・

 

医療界を見て下さい。

医学・医療や医薬品やワクチン、あるいは様々な飲食品などに関して、

『確かなエビデンス』が確立されているにも関わらず

『なぜ「100%同じ結果」が出ないのか』もしくは、

それを行えば・摂取・接種すれば病気が治ったり改善したりするものなのに

『なぜ他の病気を発症したり健康を害したり死亡者が出たりするのか』

・・・・

『エビデンスだけでは何も救えない』

それを承知の上で、

「なぜ皆さんはエビデンスを真っ先に求める」のでしょう?

 

あなたは『事実と現実の「現象」』を信じますか? それともエビデンスを信じますか?

それとも・・・?

 

 

 

-独り言